■特徴・分布・生育環境
田や湿性の高い場所に生育する越年草です。時に、半日陰になる疎林内にも生育します。
早春の早い時期には既にロゼット状に葉を広げ(地際に張り付くように放射状に葉を広げる)ます。春になるとその中心付近からいくつかの茎をやや斜上させ、茎頂にいくつかの花をややまばらな房状(散房状)につけます。茎には、1〜3枚の葉をつけます。
春の終わりから夏に、高さ20cmほど、時に40cmになる細い花茎の先に、径8mmほどの黄色い小さな花をつけます。花は舌状花だけからなり、筒状花はありません。花後には下垂します。
根生葉は、幅3cm、長さ15cmほどになり、羽状に深裂しますが、葉先が大きくなる(頭大)のが特徴です。
よく似たものに、仲間(同属)のコオニタビラコや、別属のオニタビラコ属のオニタビラコが分布しますが、一般的には区別は難しいものがあります。
本州以西から済州島・中国に分布します。
多摩丘陵では比較的よく見かけます。
■名前の由来
「タビラコ(田平子)」の名は、田面に張り付くように放射状に根生葉を広げる様子を現した名であるというのが通説です。「ヤブ(藪)」は、藪のような場所に生育するという意味ですが、田や草地にも普通に生育します。
■文化的背景・利用
春の七草のひとつ「仏の座」は、通常仲間(同属)のコオニタビラコを指すとされていますが、当時の文献などには単に「タビラコ」とされていて、よく似たヤブタビラコが明確に区別されていなかったという説もあります。
旧暦の1月7日の「人日(じんじつ)」(現在の2月上旬)には、「七草節句」といって、この日に「七草」を使った「七草がゆ」を作って食べ、その1年の無病息災を願う風習があります。この風習は平安時代に始まったという説がありますが、当時は七種の穀物で作った粥であったようです。
「春の七草」は「芹なずな 御形はこべら 佛の座、すずなすずしろ これぞ七草」の歌が元になっているというのが定説ですが、この歌がいつ頃誰によってつくられたかは、諸説はありますがはっきりとしてはいません。
ただ、平安時代の後期の文献に「君がため 夜越しにつめる 七草の なづなの花を 見てしのびませ」の歌があり、平安時代後期には「七草」という概念はあったようです。
なお、このような早春の「若菜摘み」は、万葉の時代からの風習であったようで当時の歌に現れています。
また、古今集(百人一首)の1首、
「きみがため 春の野にいでて わかなつむ 我衣手に 雪はふりつつ」
はよく知られています。他にもいくつかの和歌集に「若菜摘み」の和歌が多く現れています。
江戸時代の貝原益軒による「大和本草」など、多くの本草書に「タビラコ」などの名前が現れています。
■食・毒・薬
民間で、仲間(同属)のコオニタビラコには高血圧予防の効能があるという報告がありますが、一般的ではないようです。ヤブタビラコについては薬用にするという明確な報告はないようです。
仲間(同属)のコオニタビラコの早春の若い葉は柔らかく、食用にされますが、ヤブタビラコについては、食用にするという明確な報告はないようです。ただ、美味しいかどうかは不明ですが、食べられると推定されます。
■似たものとの区別・見分け方
植物学的には、単なる「タビラコ」の名の植物はありません。
オニタビラコ属とヤブタビラコ属は、植物学的には、果実の冠毛の有無で同定します。オニタビラコ属では果実に3mmほどの冠毛がありますが、ヤブタビラコ属のコオニタビラコやこのヤブタビラコの果実には冠毛はありません。
オニタビラコは、コオニタビラコやヤブタビラコよりもやや大型ですが、個体変異もあるため大きさだけでの区別は困難です。オニタビラコでは、花茎の上部で茎を分けるのが特徴で、多くの花をつけること、花弁(舌状花)の数がコオニタビラコでは6〜9枚と少ない(ただし、ヤブタビラコでは10数枚〜20枚)のに対してオニタビラコでは通常10枚以上と多いことで区別できます。また、オニタビラコの葉の先端は花時には鈍三角形状であることも特徴です。コオニタビラコやヤブタビラコでは通常丸くなっています。
ヤブタビラコとコオニタビラコはよく似ていますが、花弁(舌状花)の数が、コオニタビラコでは6〜9枚と少ないのに対して、ヤブタビラコでは10数枚から20枚と多いことで区別できます。
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写真は「花」と「全体」の2枚を掲載 |
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ヤブタビラコの花 |
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ヤブタビラコの全体 |
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