ザクオオシマラ(大島桜)         
多摩の緑爺の「多摩丘陵の植物と里山の研究室」

オオシマザクラ(大島桜) バラ科サクラ属
学名:Prunus speciosa または Prunus lannesiana var. speciosa

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■特徴・分布・生育環境
落葉高木で高さ10mほど、幹直径50cmほどになります。時に、樹高15m、幹直径2mにもなります。
樹皮は暗灰色から淡褐色で横に特有な皮目が入ります。
「大島」の名の通り「伊豆大島など伊豆諸島」原産であるとされています。伊豆半島、房総半島や三浦半島に見られるものは、かつて薪炭用などに植栽されたものが野生化したという説があります。

葉は、互生(互い違いにつく)し、卵状楕円型で長さ8〜13cmほど、幅5〜8cmほどのものまでいろいろあり、葉先は細長く尾状に伸びます。葉の縁には鋸歯(葉の縁のギザギザ)があります。
葉には、よい香りがあり、塩漬けにして桜餅を包むのに使われます。
  
花は春に、新葉が開き始めると同時に房状(散房状花序)につけます。花は径3〜4cmで白色です。花弁は5枚です。
サクラの仲間は葉柄や葉身にとても小さな粒状の腺点(蜜腺)があり、その場所が種類を区別するひとつの指標になります。ヤマザクラは多摩丘陵によく見られますが、腺点(蜜腺)は葉柄の中程につきます。ソメイヨシノでは、葉柄の最上部や葉身の基部につきます。稀に植栽されているエドヒガンでは葉身の基部につきます。同じく稀に植栽されているオオシマザクラでは葉柄の上端部に2個が不揃いにつきます。なお、オオシマザクラは花が白くて遠くから見るとやや青白く見えるのが特徴です。また、オオシマザクラの葉は他の桜の仲間に比べると葉の丸みが強いのも特徴のひとつです。

果実は、やや大きく径12mmほどの球形で、初夏に赤から黒紫色に熟します。熟した果実は甘みがあって食べられます。

上述の通り、伊豆諸島原産で関東南部の海岸に近いところでよく見られます。
多摩丘陵では、里山の林縁などに、しばしば植栽されています。

■名前の由来
「サクラ」の名の起源は諸説がありますが、古事記に現れる「木花之開耶姫」(このはなのさくやひめ)の「木花」がサクラを意味していて、「さくや」から「サクラ」に転訛したする説があります。
また、後述するように民俗学的な解釈として、「サ」は「田神」(さがみ)のサを意味していて穀物の霊を表し、「クラ」は田の神の依りつく「座」(クラ)を意味しているとする説もあります。
「大島」は、伊豆諸島の伊豆大島に自生することからの命名のようです。

■文化的背景・利用
奈良時代から吉野山(現在の奈良県)が桜の名所として知られていますが、そのほとんどはヤマザクラであるとされています。

万葉集で41首に詠われているサクラはヤマザクラであろうと思われ、他に古今集、新古今集、源氏物語や平家物語などにその名が現れています。
江戸時代の芭蕉などの句集や、「本草綱目啓蒙」などにもその名が現れています。

なお、現在では桜と言えばほとんどソメイヨシノを指していますが、ソメイヨシノは江戸時代にエドヒガンとこのオオシマザクラの人工交配種として作出され「(当時桜の名所であった)奈良の吉野山に行かなくても吉野の桜が見られるとして売り出された」とされています。
1912年に、東京市から3000本のソメイヨシノを中心とした桜の苗木が米国に送られポトマック川河畔に植えられたことは有名です。現在でも桜の名所として親しまれています。その返礼としてハナミズキが日本に贈られました。

なお、お花見は、現代では満開の桜の木の下での酒宴としての行事として定着していますが、その起源には諸説があります。
代表的なものに、奈良時代の頃に行われていた貴族の行事がお花見の起源であるとの説があります。
また一説には、田植えの頃にちょうどサクラが開花することから、田植えの前に豊作を祈願した神事がお花見の起源であるとの説もあります。
「サ」は「田神」(さがみ)のサを意味していて穀物の霊を表し、「クラ」は田の神の依りつく「座」(クラ)を意味しているとの民俗学的な解釈です。

ただ、当初の花見は桜ではなく梅を愛でていたようです。8世紀中頃に、大宰府で大伴旅人が梅の宴を開いたとの記録があります。事実、万葉集では、梅を詠んだ歌は118種にもおよびますが、桜を詠んだ歌は41種にとどまっています。
梅が中国から日本に渡来したのは奈良時代の前の飛鳥時代であろうと推定されていて、梅の花の美しさや香りのよさに、当時の貴族や文化人が魅了されたことが伺えます。  
ただし、弥生時代の遺跡から梅の種子が発見されているので、もっと古い時代に薬木として渡来していたとも言われています。中国では古くから薬用として栽培されていて、漢方薬として「烏梅(うばい)」などがあります。
したがって、「古事記」や「日本書紀」には梅は現れていません。逆にサクラが現れているとの解釈もあります。神代の巻にある「木花之開耶姫」(このはなのさくやひめ)の「木花」はサクラを意味しているといわれています。

いずれにしても、平安時代以降には、花見と言えば「桜」であったようです。奈良の吉野山のヤマザクラなどを鑑賞したのでしょうか。  
現代では、サクラと言えばソメイヨシノですが、ソメイヨシノが現れたのは江戸時代なので、それまでは、主としてヤマザクラなどを鑑賞していたことになります。
分布域からすると、古い時代にオオシマザクラがお花見で鑑賞されたとは思われません。

上述のように、葉には良い香りがあり、塩漬けにして桜餅を包むのに使用されます。このような桜餅は江戸時代に現れたとされています。

材は、他のサクラよりも軟らかく建築・器具材、楽器材や家具材に使用します。成長が早いので薪炭材に利用されてきています。

■食・毒・薬
上述のように、オオシマザクラの葉は塩漬けにして桜餅を包むのに使用します。黒く熟した果実には甘みがあって食べられます。
薬用にするという報告はないようです。

■似たものとの区別・見分け方
多摩丘陵に自生するヤマザクラや、稀に植栽されているエドヒガン、よく植栽されているソメイヨシノとの区別は上述の通りです。

サクラの仲間では他に多摩丘陵にはウワミズザクライヌザクラが自生しますが、花穂が瓶を洗うブラシ状なので容易に区別できます。なお、両種とも腺点(蜜腺)は葉柄でなく葉身の基部につきます。    
  
写真は「花と新葉」、「葉」と「幹」の3枚を掲載
オオシマザクラ
オオシマザクラの花
オオシマザクラ
オオシマザクラの葉
オオシマザクラザクラ
オオシマザクラの幹