ミドリハコベ(緑繁縷)         
多摩の緑爺の「多摩丘陵の植物と里山の研究室」

ミドリハコベ(緑繁縷) ナデシコ科ハコベ属
学名:Stellaria neglecta

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■特徴・分布・生育環境
「春の七草」のひとつです。春の七草としては「ハコベラ」と呼ばれています。
草姿や花がそっくりな後述のコハコベとともに「ハコベラ」とされていたようです。

よく混同されますが、「コハコベ」と「ハコベ」は同一種で、植物学上の標準的な和名は「ハコベ」です。
現代では「ハコベ」の名よりも「コハコベ」とすることが多い。
なお、「ハコベ」はこの「ミドリハコベ」とすることも従前より散見されています。

ただし、後述のように、西暦2000年代に入ってから、インターネットや新たに発刊された図鑑などで「ハコベ」は「ミドリハコベ」であるとする説も目立つようになってきています。

花も葉も小さい小型の2年草です。草丈10cm〜20cmほどになり、葉も茎も柔らかく、分枝して広がります。
花は、早春から初秋まで長い間咲いています。花径は7mm前後で、花弁は白く5枚ですが、花弁が2深裂しているため、花弁は10枚に見えます。
葉は多くつき、卵型で長さ1cmから、せいぜい2cmほどです。
この仲間(同属)や近縁の種については、後述の通りです。

日本各地から世界的に広く分布します。
多摩丘陵では、他の仲間や近縁の種とともに、やや湿性のある草地や畑や田の縁などに比較的よく見かけます。

■名前の由来
「ハコベ」の名は、万葉集に現われている「波久培良(ハクベラ)」から「ハコベラ」になり、「ハコベ」に転訛したものというのが一般的です。
ただ、「ハクベラ」の名の由来はよくわかっていないようです。
ミドリハコベの名は、コハコベ(ハコベ)では通常茎が紫色を帯びているのに対して、茎が緑色を帯びていることからの命名です。

西暦1900年代に入るまでは、「コハコベ」(Stellaria media)と「ミドリハコベ」(Stellaria neglecta)の2種は有意には区別されておらず、ともに「ハコベ」とされていたというのが通説です。
後述のように、この2種が区別された当初は「ハコベ」と呼ぶ場合には「コハコベ」を指すとされていましたが、「ミドリハコベ」であるとする説も散見されてきています。

漢字名の「繁縷(ハンロウ)」は、生薬の名前です。ミドリハコベもコハコベ(ハコベ)同様に利用されたと推定されます。

■文化的背景・利用
旧暦の1月7日の「人日(じんじつ)」(現代では2月上旬)には、「七草節句」といって、この日に「七草」を使った「七草がゆ」を作って食べ、その1年の無病息災を願う風習があります。この風習は平安時代に始まったという説がありますが、当時は七種の穀物で作った粥であったとされることがあります。
「春の七草」は「芹なずな 御形はこべら 佛の座、すずなすずしろ これぞ七草」の歌が元になっているというのが定説ですが、この歌がいつ頃誰によってつくられたかは、諸説はありますがはっきりとしてはいません。
なお、「御形」はハハコグサ、「佛の座」はコオニタビラコであるとするのが定説です。

平安時代の後期の文献に「君がため 夜越しにつめる 七草の なづなの花を 見てしのびませ」の歌があるとされるので、七草を摘むという風習は平安時代には既にあったと考えられます。ただ、七草の対象となっていた草本はまちまちで、地方によっても異なっていたようです。

このような早春の「若菜摘み」は、万葉の時代からの風習であったようで歌にも現れています。
古今集(百人一首)の1首、
「きみがため 春の野にいでて わかな(若菜)つむ 我衣手に 雪はふりつつ」
はよく知られています。

上述の通り、この「ミドリハコベ」(Stellaria neglecta)ととてもよく似た「コハコベ」(Stellaria media)の2種は、西暦1900年ごろまではともに「ハコベ」とされていて、有意には区別されてはいなかったというのが一般的です。

当初は、単に「ハコベ」と呼ぶ場合には「コハコベ」であるとするのが一般的でした。
しかし、西暦2000年頃から「ハコベ」は「ミドリハコベ」であるとすることも多くなってきています。

インターネットの普及が進んだ西暦2000年代に、
 ・「牧野富太郎博士が1922年に『ハコベ』としているものには『コハコベ』があることを見出した」(欧州で採集されていた標本によって既に記載されていた「S. Media」を確認した)という内容のネット記載が広がると同時に、
 ・国際自然保護連合「IUCN」が「侵入生物データベース」(GISD)を西暦2000年(1998〜2000)ごろに発表し、国立研究開発法人の「国立環境研究所」がその日本語版をインターネット上に公表したのですが、そこに「S.media(コハコベ)」が「侵入的植物」であるという記載がある

このことからか、「コハコベは欧州原産」で「明治〜大正時代に渡来した『新参の侵入種』あるいは『新参の外来種』である」とするネット記載が目立つようになってきています。

それもあってか、西暦2000年代には「ハコベは新参の外来種コハコベではなく在来種であるミドリハコベである」とするネット記載や図鑑などが多くなってきています。
平安時代には「ハクベラ」としてすでに文献記載されているので、「ハコベ」を帰化種コハコベであるとすると整合性がとれないという理解なのかもしれません。
 
ネット社会ゆえのことかもしれません。

ただし、上記の「侵入生物データベース」からだけでは、「なぜ侵入生物としたかの理由」や「いつ頃世界的に広がったか」については、いまひとつ判然としていません。いずれにしても「侵入:invasive」という表現はかなり強烈ではあります。

平安時代の日本最古の本草書「本草和名」(西暦900年代初頭)〜江戸時代の「本草綱目啓蒙」に「はくべら(波久培良)」等として記載されているのには、植物分類が進んでいなかった当時にはコハコベとミドリハコベを区別していなかったことがあります。
この2種は見た目での区別は無理があって「微小な種子の極く微細な突起で同定」しない限り確実な区別はできません。

その当時に、ハコベをコハコベとし、もう一方をミドリハコベとした理由は判然としていません。観察された地域では、コハコベの方が自生が多かったのかもしれません。
いずれにしても、2015年現在では、「ハコベ」は「コハコベ」であるとする説の他に、「ハコベ」は「ミドリハコベ」であるとする説もあります。

■食・毒・薬
ミドリハコベもコハコベ(ハコベ)同様に利用されたと推定されます。
全草を天日乾燥したものが生薬の「繁縷(ハンロウ)」で、煎じたものに産後の浄血、催乳や肝臓病のむくみなどに効能があるとされています。
昔は、干して砕き塩をまぜて、歯磨(はみがき)粉にしたようです。
若い葉や茎を茹でて、おひたし、あえもの、汁の実などにします。また、そのまま天ぷらにします。

■似たものとの区別・見分け方
多摩丘陵では、似たものとして次の7種が確認できています。

○5枚の花弁が2深裂していて、花弁が10枚に見えるハコベの仲間(ハコベ属)やウシハコベ
コハコベ(ハコベ)ミドリハコベはよく似ていますが、一般的には、コハコベの茎は紫色を帯びているのに対して、ミドリハコベは茎が緑色を帯びていることで区別します。植物学的には、種子の突起の形態で同定します。コハコベ(ハコベ)では種子の突起は半球形ですが、ミドリハコベでは種子の突起は円錐状です。
ノミノフスマもコハコベやミドリハコベに似ていますが、コハコベやミドリハコベでは葉は長さ2cmほどであるのに対して、長さ8mmほどの小さい葉が多く、何よりも花弁がガク片よりも明らかに長く、上から見るとガク片が目立たないことで区別できます。また、他の種類とは異なり、どちらかというと湿性の高い場所に生育します。
ウシハコベは、コハコベやミドリハコベでは葉はせいぜい長さ2cmほどであるのに対して、葉が長さ8cmにも及ぶものがあり、全体に大型なことで容易に区別できます。また、他のハコベの仲間ではメシベは3裂していますが、ウシハコベでは5裂していることもよい区別点です。植物学的には、ハコベ属ではなく、近縁のウシハコベ属として独立させることが普通です。

○5枚の花弁が2浅裂していて、花弁の先がハート型になるミミナグサの仲間
オランダミミナグサでは花茎が極端に短く、茎の先にいくつかの花が密についています。また、全体に毛が多いのが目立ちます。
ミミナグサでは、花茎の長さが5〜15mmで、明らかな花茎があるように見え、また、花の数もややまばらで、オランダミミナグサのように密にはつけません。

○5枚の花弁の先は鈍三角形状で裂開しないノミノツヅリ(ノミノツヅリ属)
ノミノツヅリの葉は、長さ3〜7mmと、ノミノフスマ同様に小さい点では似ていますが、花弁の先が裂開しないことで、容易に区別できます。    
  
写真は「花」と「全体」の2枚を掲載
ミドリハコベ
ミドリハコベの花
ミドリハコベ
ミドリハコベの全体