■特徴・分布・生育環境
やや湿性のある明るい林床や湿性のある小道脇などに生育する多年草です。
地下に小型の球根(実際には鱗茎)があります。
春に地際に放射状に葉を広げ、結構太い茎を序々に伸ばしていくので、夏には葉は茎の中ほどよりもやや下に、やや輪生状につくようになります。
花茎は枝分かれせずにほぼ垂直で、高さ60cm〜1m前後になる大型の多年草です。
茎頂に緑色の若い蕾を数個つけ、初秋(多摩丘陵では8月初、時に7月末)に数個の花をやや輪生状につけます。
花は、白〜緑白色で、長さ10cm前後の筒状で花冠は余り開きません。蕾は、最初上向きに出て、やがて横向きになり花冠の先を小さく開きます。
花が咲いているのは4〜5日と比較的短く、黄色っぽく変色して落花します。
葉は、ユリの仲間(ユリ属)の(笹の葉に似た形態の)平行脈とは異なり網状脈で幅広なので、葉だけを見るとユリ状の花をつけるとは思えないところがあります。
若い葉の表面には艶がありますが、やがて艶はなくなります。
葉には比較的長い柄があり、大きさには大小ありますが、長さ15〜25cm、幅8〜15cmほどの卵状楕円形で、葉先は三角形状です。しばしば、花時には葉が枯れるなどとされますが、花後にも秋まで残っていることが多い。
果実は、長さ5cmほどのやや太い紡錘型で、ほぼ垂直につきます。晩秋に褐色に熟して裂開し、膜質の翼のある扁平な種子を出します。
通常、ユリの仲間(ユリ属)とは分けて「ウバユリ属」に分類されますが、ユリ属に含める説もあります。
草姿や花がやや大型で、1株の花数が10数個ほどもあるものを変種としてオオウバユリ(var. glehnii)とすることがあります。
本州の宮城県・石川県以西、四国、九州に分布します。この仲間は東アジアに数種分布しますが、ウバユリ自体は日本固有のようです。
多摩丘陵では自生地は限られていて個体数も多くはありません。ただ、他の場所でも春に新葉を見ることは時にあるので、里山ゆえに草刈が入ることが影響している可能性があります。
■名前の由来
ユリの仲間は、細い茎に大きな花をつけ、わずかな風にも揺れることから「揺り」から名づけられたと言われています。
漢字名の「百合」は、生薬名からのようです。
「姥(うば)」の名は、しばしば「花期が終わると葉が枯れてなくなることを『歯が抜け落ちている姥(老婆)』にたとえた」ものであるとされます。
ただ、江戸時代の小野蘭山による「本草綱目啓蒙」には、テングユリやゴボウユリなどの多くの地方名のひとつとして「ウバユリ」の地方名があげられているとされていて、必ずしも江戸時代でもウバユリの名は定着してはいなかったようです。
また、多くの場合、花が終わっても秋まで葉は残っています。
このことから、「葉がないことを(歯のない)姥にたとえた」のは江戸期の洒落(心)のひとつであった可能性もありえます。
また、「姥」ではなく「乳母」とする説など他説もあるようです。
■文化的背景・利用
万葉集に10首余りで「ゆり」が詠われていますが、これはササユリやヤマユリであるとする説と、ササユリやオニユリなどでヤマユリは含まれていないなどの説があります。
江戸時代の「本草綱目啓蒙」に「百合」として現れているのは「ヤマユリ」であるとされます。
江戸時代の貝原益軒による「大和本草」や上述の「本草綱目啓蒙」に「ウバユリ」の名が現れているとされますが、当時は地方名のひとつであったようです。
「ウバユリ」としては和歌や文芸などには現れていないようです。
■食・毒・薬
鱗茎(りんけい)からはデンプンを採取(摺って水に晒すなど)でき、食用にもされてきています。ヤマユリ、オニユリやコオニユリなどとは異なり鱗茎はそのままでは食用にはできません。古い時代から救荒植物として食用にされてきた可能性があります。
若い葉を食用にできるという解説もあるようですが、下痢を惹き起すという説もあり、若い葉を食用にするのは避けるべきでしょう。
■似たものとの区別・見分け方
多摩丘陵には、ヤマユリが自生していますが似てはいません。
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写真は「花全体」、「花」、「果実」、 「開花1日前の全体 (葉が枯れる様子はない)」、 「果実と葉 (葉が枯れる様子はない)」、 「蕾(始め上向きに出る)」、 「花茎」、「春の新葉」と 「夏の葉(茎が伸びて立ち上がっている)」 の9枚を掲載 |
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ウバユリの花全体 |
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ウバユリの花 |
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ウバユリの果実 |
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開花1日前の全体 (葉が枯れる様子はない) |
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果実と葉 (葉が枯れる様子はない) |
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蕾(始め上向きに出る) |
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ウバユリの花茎 |
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ウバユリの春の新葉 |
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ウバユリの夏の葉 (茎が伸びて立ち上がっている) |
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