多摩の緑爺の
植物文化誌
9月:3.「ヒガンバナ」 −救荒植物として渡来した?
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9月は昔は「長月(ながつき)」と呼ばれていました。現在の暦では9月下旬ころからにあたります。
ですから「秋分の日」の頃からが「長月」でしょうか。この秋分の日を境に夜の方が長くなってくることから「夜が長い月」を意味していると言われています。
この日がお彼岸の中日で、この日をはさんで前後3日がお彼岸です。祖先を敬い、亡くなった人々を偲びます。
ちょうどこのお彼岸の頃に花を開くのが「ヒガンバナ」(彼岸花)です。時期のせいか、あるいは墓地の周辺によく見られることからか、シビトバナ(死人花)の別名があるように余り良いイメージを持たれない花です。
花期に葉はなくて、唐突に地面から花が出ている様子も、どこか異様な感じがすることも災いしているのかもしれません。
古い時代に渡来した帰化種とされていますが、もう日本の秋の里山の風物詩のひとつです。
マンジュシャゲや火炎草など別名が非常に多く、万葉集にも現れていることからも昔から人の生活に近い存在であったことを示しています。
有毒植物なので、有害獣などを遠ざけるためにお墓のまわりに植えられたという伝承もあります。
万葉集にある一首、
「路の辺の 壱師の花の いちしろく 人皆知りぬ わが恋妻は」
の「壱師(いちし)」は、ヒガンバナを指すと言われています。「いちしろく」は歴然としている様子を意味していて、「私の恋心は彼岸花のように目立っていて、まわりの人に知られてしまっていることでしょう」と歌っているようです。
ヒガンバナは全草有毒です。誤って食べると嘔吐や下痢、場合によっては中枢神経の麻痺をひきおこして命の危険があります。
しかし、有毒なアルカロイド(リコリン)成分は水溶性なので、鱗茎(球根)の黒い皮をむき、細かく砕いてを何回も水に晒して有毒成分を取り除きデンプンを取り出せば食べられるので、飢饉などに供えて、救荒植物として植栽されたという説が有力です。
ただし、日本に自生するヒガンバナは「3倍体(染色体が奇数なので減数分裂が起こらない)」なので、種子はできません。
したがって、種子で増えることはなく、また田畑の畔や土手あるいはお墓のまわりなど人の生活に近い場所でしか見られないことから、分球した鱗茎(球根)が人の手によって植えられたものと推定されています。
中国の揚子江流域にヒガンバナの自生があり、2倍体のヒガンバナも自生するようです。古い時代に渡来した際に3倍体のものが持ち込まれたのではないかと思われます。
日本に自生するヒガンバナは、地下の鱗茎の分球によってのみ増えます。
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