多摩の緑爺の植物文化誌
8月:6.「桐(きり)」 −文芸から器具材まで

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キリの花
「桐(きり)」は、遠い昔から日本人にとって身近な存在だったようです。
「桐(きり)」は、日本各地に分布しています。中国原産で、古い時代から日本各地に植栽されたものであるとされる一方で、宮崎県に自生のキリがあるという説もあり、渡来した時期や日本全土に野生化していることなどを含めて、出自がもうひとつはっきりとしていない樹木です。
キリは、葉も花も大きく、材も有用なので、 多くの和歌集、俳句・狂歌、紋章や文芸などに現れています。また、広く器具材としても利用されてきています。
なお「桐の材」としては、岩手県の南部桐、福島県の会津桐、岡山県から広島県東部にかけての備後桐が著名です。

キリは成長が早く、そのため材は柔らかく、大変軽く、比重は0.3で、日本の木材の中ではもっとも軽いものです。
辺材、心材の区別がなく、白い材は磨くと美しい光沢があります。また材は通直で狂いが少なく、さらに湿気を通さない、割れない、燃えにくいなど木工材として優れた性質があります。
そのため、建具や障子の腰板などの建築材、タンス、長持ち、机、本箱などの和風の家具類、楽器の材料、彫刻材、下駄材、絵画用木炭などきわめて広く利用されてきています。

杉の80年、松の40年に対して、桐の成長年数は15年だといわれます。成長の早い木なので、昔は女の子が生まれると、桐を植え、嫁に行くときにそれで箪笥(たんす)や長持ちを作って持たせたと言われます。
古川柳に、

「桐の木は 娘の年と 同じ年」

があり、女の子が生まれた年に植えた桐は、嫁に行く頃に箪笥(たんす)材が採れる程生長が早いことを詠っています。また、

「琴になり 下駄になるのも 桐の運」

桐材が、大切にされる琴になる一方で、足に履かれ捨てられる下駄になることもあって、人生の運、不運をなぞらえたものです。

なお、桐の伐採時期は梅雨入り前だけです。伐採した桐は、梅雨の長雨に晒されて灰汁が抜け綺麗な白銀色になり冴えた光沢が出ます。
この方法以外では材色が冴えず、使用後に木が動いて使い物にならないと言われます。

万葉集に、キリが詠われていると言われています。ただ、キリではなくアオギリであるという説もあります。
また、新古今和歌集に、

「桐の葉も ふみ分けがたく 成りにけり 必ず人を 待つとなけれど」

があります。
キリの葉
源氏物語や枕草子などの多くの文学や文芸、あるいは江戸時代の芭蕉や一茶の句集などにもその名が現れています。
源氏物語の「桐壺」は、宮中の庭に桐の木が植えられていたことに由来します。

豊臣家の忠臣片桐且元(かたぎりかつもと)が関ヶ原の合戦に敗れた後に詠ったと言われる有名な句、

「桐一葉 落ちて天下の 秋を知る」

は、桐は太閤桐という名で豊臣家の家紋であり、片桐という自らの名にもあり、主君の家と自らの行く末と時代の趨勢を、桐の葉が枯れ落ちる様子に込めた句であるとされています。
なお、桐は豊臣家の紋章ですが、足利氏や織田信長などの紋章でもあります。

この「桐一葉」は、俳句の秋の季語となっています。近世の俳句に、

「桐一葉 日当りながら 落ちにけり」 高浜 虚子

があります。


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