多摩の緑爺の植物文化誌
7月:3.「榎」に「椋」、「一里塚」、「国蝶オオムラサキ」

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エノキ
エノキ(榎)とムクノキ(椋)は、似ているので、

「榎の実(えのみ)ならばなれ、木は椋の木、椋はなっても木は榎」の諺があります。
「エノキの実がなっても木は間違いなくムクノキだ、ムクノキの実がなっても木は間違いなくエノキだ」の意味ですが、「何が何でも自分の主張を譲らない強情さ」を例えたものです。

エノキ(榎)もムクノキ(椋)も、ともにニレ科の落葉高木で、径5〜6mmほどの球形の果実をつけ、熟せば食べられます。野鳥もこの果実をよく食べるます。
エノキ(榎)は、日本書紀にもその名が現れていて、古い時代から身近な存在であったことをうかがわせます。 また、万葉集にも詠われています。
ただ、「椋」あるいは「むくのき」としては詠われていないようですが、平安時代の「倭名類聚抄」に「椋」を「和名 無久(むく)」として現れています。

「我が門の 榎(え)の実もり食む 百ち鳥 千鳥は来れど 君そ来まさぬ」 万葉集

があります。

また、エノキは準絶滅危惧種で「国蝶」でもあるタテハチョウの1種、オオムラサキの幼虫の食草であることで有名です。
ただ、エノキの葉は、オオムラサキだけでなく、ヒオドシチョウやゴマダラチョウなどの食草でもあります。
オオムラサキは、日本で最初に確認され記載されてはいますが、日本だけに分布しているわけではなく、東南アジアから東アジアにかけて広く分布しています。
ムクノキ
「エノキ(榎)」は、「一里塚」によく植栽されていたようです。諸説はありますが、何故、他の木でなく「榎」が一里塚に植えられたのかはよく判っていないようです。
俗説として、「エノキ(榎)」は、昔は一里塚などによく植えられ、樹冠が横に広がり夏に木陰を作ることから、「榎」の国字が生まれたという説があります。ムクノキも同様に木陰を作り涼しいことから「涼」の字から「椋」の国字があてられたと言う説があります。
ただ、俗説としてはよくできていますが、「榎」も「椋」も必ずしも「国字」とは言えないようです。

なお、「一里塚」は、江戸時代初に主要街道が整備補修された際に、江戸・日本橋を起点として街道の両側に1里(約4km)ごとに土を盛り里程の目標とした塚です。「塚」とは言え結構大きく、五間(約9m)四方で高さは一丈(約3m)ほどであったとされています。


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