多摩の緑爺の植物文化誌 |
7月:2.「歩く姿は百合の花」 |
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日本には、ユリの仲間は10種余りが自生しています。ユリの花は大きくて美しいので遠い昔から親しまれています。
古事記にも「百合」の名が現れています。
万葉集にも「百合」が10首余りで詠われています。ただ、どのユリを詠ったものかは判っていません。
「道の辺の 草深百合の 花笑みに 笑みしがからに 妻と言ふべしや」 万葉集
「筑波嶺の さ百合の花の 夜床(ゆとこ)にも 愛(かな)しけ妹(いも)そ 昼も愛(かな)しけ」 万葉集
「百合」は、その美しさゆえに、美しい女性を表現する、
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」
の言葉を生みだしています。
ただ、牡丹(ぼたん)は奈良時代、芍薬(しゃくやく)は平安時代に中国から渡来したもので、日本に自生はありません。
この言葉は、江戸時代の天明年間に編まれた『譬喩尽(ひゆづくし)』に記載されているとのことで、この頃に成立したもののようです。
しかし、ユリの仲間の名前を試しに並べてみると「鬼(おに)車(くるま) 山(やま)姥(うば)透(すかし) 笹(ささ)鉄砲(てっぽう)」で、どうも美人とは程遠いようです。
命名の際には、その美しさは考慮されなかったようです。
万葉の時代には、百合といえば、関東ではヤマユリ(山百合)、関西ではササユリ(笹百合)だったという説がありますが、「歩く姿は百合の花」とされたのは、どの百合だったのか興趣が湧きます。
1829年にドイツの医学者シーボルトが日本からカノコユリやスカシユリの球根を持ち帰って開花させました。約50年後、ウィーン万国博覧会(1873年)に多くの種類の日本のユリが紹介され、ヨーロッパにユリブームを巻き起こします。
この人気により、日本のユリの球根が大量に輸出されることになりました。
幕末に相次いで海を渡った日本原産のヤマユリやカノコユリは、その後約100年を経て、オランダの育種業者によって交配を重ねられ、現代の「オリエンタル・ハイブリッド(ジャパニーズ・ハイブリッド)」として誕生しました。
今日、カサブランカの名でよく花屋さんに並べられているユリは、このヤマユリを原種のひとつとしているようです。ヤマユリの花は、野生種としては最大であると言われるほど大きく、また強い芳香があるので、珍重されたようです。
なお、「ゆり」の名は、細い茎に大きな花がつくのでちょっとした風にも揺れることから 「ゆる(揺)」が転訛して「ゆり」になったと言われています。
また、漢字名の「百合」は漢名で、葉や鱗茎(球根)が多数重なり合うようになることからと言われています。
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