多摩の緑爺の植物文化誌
7月:1.七夕(しちせき)」の節供 −「七夕(たなばた)」、「竹」、「生け花」

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現代では、「七夕(たなばた)」は短冊に願い事を書いて、竹や笹に飾る習俗として伝えられています。ほかにも独自の七夕祭が各地でとり行われています。
なお、「七夕」は節供としては「しちせき」と読みます。

竹を使うのは竹は殺菌力を持っていることがあり、また常緑なので、古い時代から「竹」は神聖なものとされたことによるようです。

万葉集にも「大宮人」や「皇子」などの「枕詞(まくらことば)」として「さす竹の」があり、9首ほどがあります。
現代でも、建物の地鎮祭などでは四方に竹を立てて神を祀ります。

「七夕」は、古い時代の日本にあった「棚機女(たなばたつめ)と呼ばれた女性が機(はた)を織りながら水辺で神の降臨を待つ」という行事と「旧暦のお盆(旧暦7月15日前後)の始まりの儀式として花や飾りを供えて先祖を迎える習俗」が、中国の星祭りや織姫・牽牛の伝説と結びついて、現在の七夕祭となったと言われています。
「たなばた」の読みはこの「棚機(たなばた)」からきていると言われています。また、万葉集では「棚機」などが当てられていますが、古今和歌集以降は「七夕」があてられています。
万葉集に、

「天の河 霧立ち上る 棚機(たなばた)の 雲の衣の かへる袖かも」

の歌があります。

このお盆の始まりの儀式として花を供える習俗は仏前に花を供える宗教儀式の供華(くげ)としても盛んに行われ、室町時代半ば(西暦1400年代)には、宮中で行われる七夕会の供華として花を挿したり立てたりして競い合うようになったと言われています。
これが現代の「生け花」の起源のようです。

ただ、日本では仏教の伝来以前に既に神前に榊をたてて祀り、また花を供えていたようです。


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