多摩の緑爺の
植物文化誌
6月:3.「梅雨」 −梅の雨の由来は?、五月雨と橘
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「梅雨」という言葉は、中国から渡来したと言われ、日本語読みして「ばいう」と呼ばれるようになったもののようです。
梅雨の語源は、ちょうど梅の実が熟す頃だから言う説がありますが、必ずしもそうとも言えないようです。
もともとは黴(かび)の多い季節であることから「黴雨(ばいう)」であったものが「梅雨」に転訛したと言う説もあります。
「梅雨」を「つゆ」と呼ぶようになったのは、江戸時代前後からのようですが、この語源ははっきりとしてはいないようです。
一説には、長雨で食べ物などが腐ったり痛んだりすることから「物が潰える(ついえる)」から「潰(つい)ゆ」となり、「つゆ」に転訛したというものがあります。
「梅雨」は、現代では6月から7月の長雨を指す言葉として定着していますが、平安時代から江戸時代までは、「五月雨(さみだれ)」のほうがよく使われていたようです。
ただ、現代では「五月雨(さみだれ)」は「初夏に入った明るい5月に時折降る雨」といった意味で使われています。
旧暦の「5月」は現代の暦では5月末から7月上旬であるため、当時は梅雨の時期の長雨を「五月雨」としていたようです。
平安時代以後の和歌集の何首かに「五月雨」が現れています。たとえば、
「五月雨に 物思いをれば 郭公(ほととぎす) 夜ふかく鳴きて いづちゆくらむ」 古今和歌集 紀友則
「時鳥(ほととぎす) 雲居のよそに 過ぎぬなり 晴れぬ思ひの 五月雨のころ」 新古今和歌集 後鳥羽上皇
これらは「梅雨」を指していると考えられています。
また、江戸時代にも松尾芭蕉の有名な俳句、
「五月雨を 集めてはやし 最上川」
があります。この句は、芭蕉が山形を訪れた際に旧暦の5月末に発句されたものです。現代の暦では7月初にあたり、まさに梅雨の真っ最中です。
なお、この句はもともとは「・・・集めて涼し」だったものを「奥の細道」に収められた際に「・・・集めてはやし」に改められたものです。
また、「五月雨」は「橘(タチバナ)」とともに詠まれることも多かったようです。たとえば、
「ほととぎす 聞けどもあかず 橘の 花ちる里の 五月雨のころ」 新後撰集 鎌倉右大臣
「雨そそく 花たちばなに 風すぎて 山時鳥 雲になくなり」 新古今集 藤原俊成
「タチバナ(橘)」は、ミカンの仲間の常緑樹で、古事記の時代から親しまれていたとされます。
ちょうど「梅雨」時に、白くて美しく、また良い香りのある花をつけます。遠い昔には、果実よりも花を愛でていたようです。たとえば、
「橘の にほへる香かも 霍公鳥(ほととぎす) 鳴く夜の雨に うつろひぬらむ」 万葉集 大伴家持
「五月待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする」 新古今集 藤原俊成
などと詠われています。なお、ミカンのような果実は苦味と酸味が強く、食用には向きません。
また、京都御所の紫宸殿には「右近の橘、左近の桜」として「橘」が植えられています。
多くの紋章にも「橘」が使われています。さらに「文化勲章」にも「橘」がデザインされています。
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