多摩の緑爺の植物文化誌
5月:1.「端午の節句」 (子供の日) −何故、ショウブ?

トップページへ戻る
文化誌トップへ戻る

端午(たんご)の節句は、奈良時代から続く古い行事で、もともとは5月に限ったものではなかったようです。
「端午」は月の「はじめ(端)」の「うま(午)」の日を意味していて、「午」の音が「五」に通じるので毎月5日を指すようになり、やがて5月5日に定着したもののようです。
「五節供」のひとつです。

もともと、季節の変わり目である端午の日には、無病息災を願う行事が行われていたようで、宮中では厄よけの菖蒲(しょうぶ)をかざり、皇族などにヨモギなどの薬草を配ったりしたとのことです。

ショウブは古い時代から芳香性の健胃薬として用いられ、またその成分には皮膚を守る効能があることが知られていました。現代医学でもその効能の一端は認められています。

有名な万葉集の一首、

「茜草(あかね)さす 紫野行き 標野(しめの)行き 野守(のもり)は見ずや 君が袖振る」 額田王

も端午の節句での薬草摘みの際に詠われたと言われています。

なお、この「菖蒲」は、サトイモ科ショウブ属の植物で、アヤメ科アヤメ属のノハナショウブやアヤメとは全く別種です。
葉によい香りがあり、現代でもお風呂に入れて菖蒲湯にする習俗が伝えられています。上述の通り、皮膚を守る効能があるとのことです。
また、厄除けとしてショウブの葉を家の軒下に挿す菖蒲葺の習俗も地域的にではありますが残されています。

このような薬草を摘んで邪気を払うという行事が、武家の時代に入って「菖蒲」を「尚武」と結びつけ、やがて男の子のお祝いへと移り変わっていったようです。

「鯉のぼり」は、江戸時代に入って端午の節句に武家が幟(のぼり)を立てたのにならって、町人の間では鯉のぼりをあげるようになったものです。
武者人形や鎧兜を飾ったりするのもそのころの習俗からです。


トップページへ戻る
文化誌トップへ戻る