多摩の緑爺の
植物文化誌
4月:6.「フジ」−古事記、万葉集、藤蔓、神の依代、家紋
トップページへ戻る
文化誌トップへ戻る
「フジ(藤)」は、万葉以前から親しまれていたようです。万葉集では26首にも詠われています。
その後、源氏物語や枕草子、あるいは平家物語にも現れています。
また、フジのツルからは繊維をとり出して布を織り衣服に利用していたようで、万葉集以前の「古事記」にもその記述があるとのことです。
万葉集の
「大王の 塩焼く海人の 藤衣(ふじころも) なれはすれども いやめづらしも」
の歌からもそのことが伺えます。他にも、
「恋しけば 形見にせむと 我がやどに 植ゑし藤波 今咲きにけり」
「我が宿の 時じき藤の めづらしく 今も見てしか 妹(いも)が笑(え)まひを」
などと詠われています。
源氏物語にも、
「・・・庭の藤(ふじ)の花が美しく咲いて、すぐれた紫の花房(はなぶさ)のなびき合うながめを・・・」
などとして現れています。
また、「藤壺(ふじつぼ)」が光源氏の初恋の女性として現れています。
さらに「枕草子」でも「藤」は高貴なものとされていて、
「・・・水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪の降りかかりたる。いみじううつくしき・・・」
などとして現れています。
また、古今和歌集にも、次の和歌があります。
「よそに見て かへらむ人に 藤の花 はひまつはれよ 枝は折るとも」
江戸時代の芭蕉の句にも、
「草臥(くたび)れて 宿かるころや 藤の花」
があります。
「藤蔓」は、布以外にも細工物にも使われ、現代でも籠などが作られています。
フジの花はまた、神の降臨する依代(よりしろ)として神聖視もされていたようです。そのせいか、家紋や様々な意匠などにフジが使われています。
藤原はもとより佐藤、齋藤や加藤など多くの姓にも「藤」が使われています。
「藤棚」が作られ始めたのは江戸時代であると言われ、それ以前は、同じく神の降臨する依代(よりしろ)として神聖視もされていた松に巻きつかせて観賞していたようです。
なお、フジの仲間には、近畿以西に自生する「ヤマフジ」があります。フジではツルは上から見て右巻ですが、ヤマフジではツルは上から見て左巻です。また、ヤマフジでは花房が20cmほどと短く、また花は一斉に開花します。
ただ、昔は両種は区別されていなかった可能性もあります。
トップページへ戻る
文化誌トップへ戻る