多摩の緑爺の
植物文化誌
1月:3.「注連縄(しめなわ)」 −どうして稲藁(わら)なのか?
トップページへ戻る
文化誌トップへ戻る
「しめなわ」は、神社や神棚などの神聖な区域を不浄に触れさせないように隔てるためのもです。神聖な区域との境界を示すためのものです。
万葉集にも「占める」の意味を持つ「標」をあてた「標縄(しめなは)」が現れています。
「しめなわ」は、漢字では一般には「注連縄」をあてますが、これは中国で水を注いで清めて張った(連ねた)縄により死霊が入り込まないように仕切ったことに因るものと言われています。
また、「七五三縄」の字をあてることもあります。これは、しめなわを作る際に、注連縄の中間に3本、5本、7本と藁(わら)の茎を垂れ下がらせること(〆(しめ)の子と呼ぶこともあるようです)からです。
通常、この〆の子と〆の子の間に、白い紙に切れ込みを入れて四つに折った紙垂(しで)を下げます。この紙垂(または四手)は、神聖・清浄であることを表すものですが、注連縄の所在を目立たせるためのものでもあるようです。
なお紙垂は、神葬祭などに使用する玉串(たまぐし:「サカキ」または「ヒサカキ」の葉をつけた小枝)にもつけます。この場合は祓具としての意味になります。
なお、紙垂は、まず白い長方形の紙を二つ折りにし、次に四等分するように三つの切れ込みを入れます。切れ込みは、折った側の左側1/4の部分に上から2/3くらいまで、次にちょうど半分の部分に今度は下側から2/3くらいまで、
最後に、右側1/4の部分に今度は上から2/3くらいまでです。切れ込みを入れたら、折った側から下向きに折りまげ、以下順に残り二つの切れ込みを下向きに折りまげて作ります。
注連縄は稲藁(いなわら)で作ります。稲には古来霊力があると考えられていたことによります。したがって、アシやイグサなどの他の材料は使用しません。
日本書紀には、6世紀ごろの蘇我氏と物部氏の戦いが記載されていますが、物部氏は「稲城」を築き、3度にもわたって聖徳太子−蘇我氏軍の攻撃を打ち破ったと記述されています。
この「稲城」は、稲藁を積み上げて壁を築いて砦のようにしたものであると考えられています。ただの稲藁の砦に手を焼いたのです。稲の持つ霊力を伝える故事でしょう。
トップページへ戻る
文化誌トップへ戻る