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古来、「春の花見」に匹敵する秋の行事が「紅葉狩り」であったようです。万葉集の時代から紅葉の美しさを愛でて野遊びをしたようです。
万葉集では、「もみぢ」を詠んだ歌は100首を越えます。ただし、ほとんどが「黄葉」としていて「紅葉」としているのはごくわずかです。「もみち」や「黄地」とされることもあったようです。
ただ、平安時代の末期には「紅葉」とするようになったようです。
「秋山の 黄葉を茂み 惑ひぬる 妹を求めむ 山道知らずも」 万葉集
「秋山の 黄葉あはれと うらぶれて 入りにし妹は 待てど来まさず」 万葉集
「手折らずて 散りなば惜しと 我が思ひし 秋の黄葉を かざしつるかも」 万葉集
「秋されば 春日の山の 黄葉見る 奈良の都の 荒るらく惜しも」 万葉集
「言とはぬ 木すら春咲き 秋づけば もみち散らくは 常をなみこそ」 万葉集
当初は、紅葉狩りは宮中で行われる宴でもあったようです。
源氏物語の「紅葉賀」の中で、紅葉狩りの華やかな様子が描かれています。
その一方で散り行く紅葉に「もののあわれ」を感じてもいたようです。
余りにも有名な和歌、古今和歌集(百人一首)の猿丸大夫の歌でも「秋は悲しき」と詠っています。
「奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき」
なお、この歌で「紅葉踏み分け」ているのは、「詠み人」なのか「鹿」なのかは、はっきりとしていません。
紅葉は、多くの文学や芸能などにも現れていて、日本人の心に響くものであったようで、現代でも「紅葉狩」は秋の行楽シーズンの目玉です。
また、「紅葉狩」という「能」も有名です。
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