多摩の緑爺の植物文化誌
10月:3.江戸時代の柿 −禅寺丸柿、日本最古の甘柿

トップページへ戻る
文化誌トップへ戻る

禅師丸柿(ぜんじまるがき)
禅寺丸柿は、日本で最古の甘柿で、鎌倉時代の1214年に、現在の神奈川県川崎市麻生区にある星宿山蓮華院王禅寺の山中で自生しているものが偶然に発見されたものです。往時の多摩丘陵の中西部にあたります。
それまで、日本には甘柿はなく、日本最古の甘柿であるとされています。
「王禅寺」で発見され、果実が丸みを帯びているので、「禅寺丸柿(ぜんじまるがき)」とされたようです。

江戸時代には、多摩丘陵中西部で広く栽培され、美味なため江戸にも多く出荷されたようです。
江戸時代には水菓子(当時は果物のことを水菓子と言いました)としてもてはやされ、多摩丘陵のこの地域は禅寺丸柿の一大産地として知られるようになり、江戸にも大量に出荷されたとのことです。

「柿生(かきお)」の地名の由来ともなっています。明治時代中期に、市町村合併の際に柿の名産地であるとして「柿生(かきお)村」が生まれましたが、昭和に入って川崎市に編入された際にこの地名はなくなりました。ただ、小田急線の駅名として「柿生」駅は残されています。

明治時代の末期から昭和時代初期には、生産量は最盛期を迎えましたが、昭和中期に富有柿や次郎柿等が現れると、やや小振りで種子が大きく果肉が少ない禅寺丸柿は市場から姿を消しています。
ただ、現在でも古い民家や里山に、ゼンジマルガキの木が残されています。

「里古りて 柿の木持たぬ 家もなし」 芭蕉

甘柿の出現までは、渋柿を干し柿にして渋を抜いて食用にしていました。日本に柿が伝わったのは弥生時代といわれ、平安時代には既に干し柿とされていたようです。
冬の保存食でもあったようです。


トップページへ戻る
文化誌トップへ戻る