■特徴・分布・生育環境
平野部の丘陵地〜山地の疎林の林床〜林縁に自生する多年草です。
もと多摩丘陵地域にお住まいだったU氏からご連絡をいただいて、始めて多摩丘陵での自生を確認できました。
1990年代半ばから、既に自生地が限られていた地域的な稀少種です。
花も葉も小さい小型の多年草です。花時に草丈10cm〜15cmほどです。葉も茎も柔らかく、1本の茎を立て分枝しません。
花は、春に茎頂につけます。花径は1cm前後で、花弁は白く5枚です。
開花して短い間は、雄蕊(オシベ)の先の葯は暗赤色ですが、花粉を出すと黄色っぽくなります。
花は、普通は茎頂にひとつですが、3個前後の花をつけることもあります。
花の花弁の先が小さく凹んでいるのが特徴のひとつです。この仲間(ワチガイソウ属)の他の種とのよい区別点です。
茎の下部の葉腋から閉鎖花(開花せずに受粉して果実を結ぶ)を出します。
葉は茎につき少ない。茎の下部にまばらにつく葉が相対的に小さく、茎の上部(花の直下)につく2対(4枚)葉が一回り大きいのが、もうひとつの特徴です。
茎の下部の葉は葉先が鈍三角形状のやや細いヘラ型で長さ2cmほどす。
上部の2対の葉は接近して十字対生につき葉先が鋭三角形状の披針形(基部が狭卵型で葉先が鋭三角形状)で長さ3cm前後です。
後述するように、紡錘状に肥厚(長さ2〜3cm)する根は、中国では薬用に用いるようです。
自生環境は、下草刈など丁寧に管理された林床〜林縁で、放置されて笹や実生木などが侵入すると消えていくと思われます。
まだ試したことはありませんが、笹刈などを継続して実施すれば、キンランなどと同様に埋蔵種子などから復活する可能性はあると推定されます。
本州中部以北、九州北部から北東アジアの温帯〜冷温帯に分布します。
多摩丘陵では、ごく稀で地域的な稀少種です。
■名前の由来
ワダソウの名は、江戸時代に整備された五街道のひとつ中山道(江戸初期には中仙道)の最大の難所と言われた和田峠にちなんでいる、というのが通説です。
確認できてはいませんが、牧野博士による(新)日本植物図鑑に「和田峠に多い」といった記載があるとのことです。ただ、和田峠だけに多いわけではない。
なお、和田峠は信州(現在の長野県)の和田宿(現在の小県郡長和町和田)と下諏訪宿(現在の諏訪市)の間の峠で標高1531m。麓の和田宿との標高差は700mほど。現在は、別ルートの新和田トンネルで結ばれている。
また、中山道は木曽を抜けることから木曽路などとも呼ばれていたようです。中山道は、江戸の日本橋〜高崎(群馬県)〜軽井沢〜和田峠〜下諏訪〜塩尻〜(木曽)馬篭〜美濃(現在の岐阜県南部)〜琵琶湖沿岸の草津を結んでいた。
この仲間は「ワチガイソウ属」に分類されますが、この名前もちょっと不思議な命名で、諸説はありますが次のような面白い説が一般的になっています。
江戸の植木屋が、このワダソウの名前が判らなかったので「○○草」という札を立てて売っていたところ、この「○○」が重なっていたので「輪違い紋」に見えたことから「輪違い草」となったというものです。まあ、江戸期に多かった洒落(しゃれ)心のひとつかもしれませんが、よくできた話ではあります。
なお、「輪違い紋」は家紋として使われ、円(輪)が二つ重なったものから多くの円(輪)を組み合わせたものまでいろいろあります。
■文化的背景・利用
万葉集を始め多くの和歌などには詠われていません。
また、平安時代の本草和名を始めとして、多くの本草書にもワダソウの名は現れていません。
■食・毒・薬
中国では、ワダソウの紡錘型に肥厚する塊根を刻んだものを「太子参(たいしじん)」と呼び、小児の虚弱体質改善や発熱などに用いるようです。
食用にはできないようです。
■似たものとの区別・見分け方
多摩丘陵では、似たものはありません。
なお、仲間(同属)のワチガイソウは多摩丘陵周辺の山地に時々見かけるようです。
|
|
写真は「花」、「葉と花」、「全体」 と「複数の花をつける個体」の4枚を掲載 |
|
ワダソウの花 (花弁の先が小さく凹む) |
|
ワダソウの花と葉 |
|
ワダソウの全体 |
|
複数の花をつける個体 |
|